Friday, May 27, 2011

6

梅雨に入り、洗濯物がからっと乾かなくて、太陽の待ち遠しい毎日。何だかあっと言う間に6月を迎えた感じ。
どたばたと忙しく、忙しいのは有り難いことだと。こないだ読んだ本の言葉に・・・

【失恋で悲しいのは恋を失ったからではなく、必要とされなくなったから】

というようなことが書いてあって、確かになぁ〜と。

5月末、ぶぃ〜んと車を走らせて御殿場へ魔神の《The world5》を観にひょっこりと。魔神は仕事で会えなかったけど、魔神の世界を生で観ることができてテンションが上がり、うひゃうひゃひゃな私。大きな壁に一面の世界。《現れては消え、消えては現れる。》その世界に魅了されているマルヤマ。今回は、今までの世界がつぎはぎでくっついての出現。
そして、御殿場のおばちゃんが「ここら辺はわりと霧がちなのよ。」と言っていたが、その日はいい天気でlucky day♪富士山を見ながらのドライブで御殿場に着き、夕暮れまで共にする。生活の中に富士山があるということ・・・。























Monday, May 23, 2011

大丈夫

長くなるけど、最近読んだ《灰谷健次郎の本 第17巻私の出会った子どもたち》より。



 かれにとって、やさしさの問題はたんに学校の問題にとどまらないのだ。障害を持つゆえに、かれにとってはやさしさの問題は、生き死にの問題なのである。
 林竹二先生はいう。
 ーーー教師は、自分がもっと苦悶し、全力あげて取り組んでいる問題を子どもにぶつけなくてはならないのではないか。
 そうだとするなら、ぼくの苦悶をもっとも正確に、丸ごと受け止めてくれたのは、かれだった。そして、人間のふれあいのいちばん高いところのものを、人間が人間となり得る天の道をさし示してくれた人が林竹二先生であった。
 あのエンジェル・ゴンタと命名された若者が、自らの意志でピアスをとった授業「もの識りであるということと賢いということ」の中で、林先生はつぎのようにいう。
 ーーーソクラテスのいう「賢さ」は、勿論いろんなことをたくさん知っているということでは勿論ない。むしろソクラテスはたった一つのことを知っている人間が賢いんだと考えていた。そのたった一つのことを、しかも本当に知っている人間が賢いんだと考えていたのです。そのたった一つのことというのは何かといいますと、ソクラテス自身の言葉を借りると「善」です。ここで注意しなければならないのは、それが今日道徳的な意味でいう善とか悪とかいう時の善とは、まるで違ったものだということです。だから、実はこの言葉は余り使わない方がいいのですが、彼の理想を理解するには、まったく触れないわけにもいかない。ソクラテスが善とよんでいたものは、人間が本当に求めているもの、それを得てはじめて満足できる・・・幸福になれるもの、それを善とよんだわけです。ですから、善だから人はそれを求めるわけではなくて、人間が腹の底から本当に求めているもの、それが善だとしたわけです。それは人間の幸福・・・心の底から満足に関係していて、世間のいわゆる善ではない。本当に人間が求めているもの、それが善で、それを本当に自分のものにした時だけ、人間は幸せになる。本当に幸せになれる、そのあるものを善と名付けたわけですが、それが何であるかということを人間は誰も知らないと説いたところにソクラテスの哲学があったわけです。ソクラテスが、すべての人間は無知だという場合の無知は、この善に関する無知を言っているのです。人間は本当に自分が求めているものが何であるかを知らないのです。
 このソクラテスのいう無知について大事な点は、世間の常識がかけているとか、字が読めないとか、あるいは新聞を読んでも、政治関係の記事などはちんぷんかんぷんでわからないというようなことで人を無知だとか無学だとかいうのではないということです。反対に学があるつもりで学ぼうとするきもちがないのが無学で、本当の知恵をもたないくせに知恵をもっているつもりでいる人(いわゆる知識人がその見本でしょう)を無知だと言っているのです。かれらは、自分が本当に求めているものが何であるか知らないからです。
 ここで少し哲学じみた話をしておかなければなりませんが、ソクラテスが厳密な意味で「知る」という言葉を使うときには、それは「ドクサ」に対していっているのです。「ドクサ」というのは、たとえば美について言えば、それが本当に美しいかどうかを吟味しないで、世間で美しいとしているからそれを美しいと考えているとか、あるいは何となく自分にそれが美しいように思われるからそれを美しいとしているのでは、美しいと「知った」ことにならない。それではまだ知識を欠き、ドクサに支配されているというのです。ソクラテスは、自分を無学だ、無知だと思っている人々は、知恵に近いと見、そしてほんとうは最も大事な知恵を欠いているくせにどうでもいい知識をたくさん仕入れてもっているもの識りにすぎないくせに、真の知識をそなえもっているように思い上がっている人を無知だときめつけているわけです。特に、ソクラテスが問題にする善についての無知には一種特別の性質がある。飛行機を操縦する知識をもたない人間は、その知識が自分にないことを知っていて、飛行機を操縦しようなどとは思いませんが、善の知識を欠いている場合は、自分の無知に気づかないで、にせものの知識すなわちドクサの命ずるままに行動するのです。真の知識が欠けていると否応なくドクサに支配されて行動することになるのです。本当に自分が求めているものが何であるか知らないから、自分が求めているのではない・・・だからそれを手に入れてもけっして幸せにはなれない・・・ものを、夢中になって追っかけるということになるのです。ですから、ソクラテスにとっては、賢いということは唯一つ、この善についての「知識」をもっていて、そしてその知識が示すとおりに行動して生きることができる人間であるということになります。

 この言葉はぼくにとって永遠に天の声となるだろう。なざなら、この言葉がぼくの半生のあやまちと、これから歩むべき「我が生」の道をさし示しているからである。



 と。
 大学の時は、全くちんぷんかんぷんだったソクラテス、哲学だったなぁ〜なんて思いながら読み進める。ふむふむふむ。
 何だかこのタイミングでずばぁーーーーーーーーーっときて、おぉーーーーーーーーーーーーーーっときて、長いけど載っけてみたんです。
 教育は深い。
 灰谷健次郎さんは大好きな人で、灰谷さんの本はいつも涙が流れる。心の奥底でりんりん共鳴しているような・・・今はまだ上手く言葉にすることができないけれど、いつか私が見たい景色が、近くに感じられるというか・・・。
 読みながら、今の自分が苦しくなり過ぎて、周りの全てのものにどうにもこうにもできなくて、わーーーーーーっと叫びながらバイクに乗っていた。
 東日本大震災をはじめ様々な天災や人災のことを、自分の身に起きなくとも、忘れてはいけない。自国だけではなく、世界のあちこちで起きているということを忘れてはいけない。そう強く思いながら、頭でっかちの私はまだまだ宙ぶらりん。

 でも・・・

 笑えてるから大丈夫。

 「大丈夫」は私にとって魔法の言葉。

 大丈夫、大丈夫。
 




♡Q.HEART sexy&cute

去年、夏のバイトで知り合ったmaai-chanが手がける
   《Q.HEART》 
その名の通りsexyでcute♡

バリ在住で、成田から直行で来たmaai-chanのトランクからヤモリが出てきたのが、まるで昨日のよう。
こんがり焼けた肌と、博多弁のかわいいmaai。
パワフルで前向きでcute。maai-chanの人柄がデザインとなって、beachを華やかにしていた。
びしばしと刺激を受けた2010。

そして2011。
今年は来日できないみたいだけど、Q.HEARTはお目にかかれる模様!!
きっと今年も、beachが華やかになるぞ♪
楽しみ♪楽しみ♪♪

チェケラ☆http://q-heart.com/

Wednesday, May 18, 2011

full moon

昨日の満月は曇っていたけど、ぼやんとしていてきれいだった。
布団にごろんとしたら、ちょうど窓枠におさまって、きれいな絵のようで、幸せな眠りにつくことができた。
最近は早寝早起きが習慣となり、気持ちの良いリズム。朝の4時半にはもうお陽様が顔を出し始めているので、すぱっと目覚めることができる。
お月様とお陽様があってこその自然の営み。

夏がもうすぐそこまで。

《またね》は良い言葉だなぁと、しみじみ感じる今日この頃。


Saturday, May 14, 2011

ちゃっら〜〜!!




















こんぺいでーーーす!!

昔は《笑点》良く見てたっけ。
笑点→ちびまるこ→サザエさん
のゴールデントリオ。

久しぶりに食べたこんぺいとうは甘かった。

あ、ソーダの味♪ラッキー

みたいな気分で、一粒ずつ一粒ずつ。
そういう感覚で物事進めていきたいな。

5.12 I♡Kantaroの2歳の誕生日

時の流れはあっという間で、しみじみと2歳を感じた。
おしゃべりがだいぶ上手になってきて、電話でもちゃーんと私の名前を呼んでくれる。
「さとこおばちゃん、あのね、あのね!!」
まだ一方的ではあるけど、話せなかった子が話せる様になるという感動。
できなかったことが、できるという感動。
一つ一つ全身で吸収していく子どもを見ていると、優しくてあたたかいものを・・・と思う。

生まれてきてくれてありがとう。


Thursday, May 5, 2011

5

GW

あちらこちらで休みを満喫する人たち。
あちらこちらでボランティアへ行って来たという人たち。

行動も言葉も伴わない私はちゅうぶらりん。

日に日に陽射しが強くなっていく。


昨日、逗子海岸で行われている【逗子映画祭】へ行って来た。海岸でLiveとMovie。海と空と音楽をほろ酔い気分で味わえるなんて、なんて最高なんだ。
変わらぬ海を眺める私と、変わった海を眺める人々。海は繋がっているということが不思議なくらい。

power to the people...

life is wonderful...

言葉が身に染みた。



5/8

友だちのあいちゃんまが出ます。
《ぬくぬくの輪》
石です。意思です。意志です。
http://nukunukunowa.blogspot.com/



5/14まで

魔神やってます。
《world5》



5/5.9.10.11

くぼっちです。
鶴の恩返しです。
決して部屋をのぞいてはいけません。