Thursday, September 29, 2011

ぼく、おとぉさんに似てるんだってー

おねぇに電話をかけたら、甥っ子がいきなりしゃべる。
「ぼく、おとぉーさんに似てるんだってー」
いつものごとくぶわぁーーっと話され、内容をつかめないまま「いらなーい」と電話を替わられる。
はいよー。大好きよー。

工事のおっちゃんは、ここ4〜5日顔を合わせているのに、ここを曲がれーの合図。

だから、そこの先曲がったとこなんだって!!
工事のとこまでいかないんだって!!!!

いい加減覚えてーー!!


良い夢みたい。

☆good night☆  

Sunday, September 11, 2011

9


















実りの秋 in NIIGATA.

遅い夏休み。

すっかり黄金色の一面。稲を刈るにおいがあちらこちらから。



掛け持ち掛け持ちの日々が終わり、bluemoonの解体が終わり、2011夏が終わった9月。来年の夏が恋しくて、さみしくて・・・。




















9月9・10日で毎年開催される、新潟県小千谷市の片貝まつり。
なぜ、片貝の子は学校を休むのか?!

高校生の時に疑問に思っていた真実は、大人になって明かされた!!

とにかく熱い!!

一昨年初めて行ってみて納得した。花火の町として、朝の連続ドラマ小説になったり映画になったりしているけど、片貝の人たちは花火貯金なるものがあるらしい。
還暦・成人・結婚・開店・出産などなど祝い事や、弔いで花火をあげる。個人だったり、グループだったり、会社だったり。著名人なんかもあげている。
そして、花火と同時にお立ち台があり、山車を担いできた老若男女構わず「あがれ!!あがれ!!あがれ!!」やんややんや♪♪




















今年は、片貝の人と結婚した幼なじみも花火をあげた。
きれいな尺玉2発。
願いを込められた花火は、より一層きれいだなぁ〜としみじみ感じることができる。

あ、そうか。

片貝まつりは、地元の人たちの想いがたくさんこもっているから、おもしろいんだ☆
そんな熱い人たちの想いを垣間みれる片貝まつりへ、ぜひおいでやす。

子どもたちは、平日だと3日間学校を休んで、最終日は町のごみ拾いをするそうな。いい町だ。
ごみは持ち帰ろう!!





30になり、イメージしていた30歳・大人とはとんとかけ離れているけど、これはこれで楽しく、幸せを感じる。
がむしゃらに駆け抜けて来た20代よりかは、ちょっとばかし落ち着いている風でいきたいけど、きっと、今までと変わらずに、going my way で突き進むことだろう。《私》という存在が、どう作用しているのか・・・不安にかられたりもするけど、きっと、楽しく笑っていることで見えてくる、そう信じて。
家族、ご先祖様、友だち、今まで出会った人たち、これから出会う人たち・・・
ありがとう。


誕生日におかんがプレゼントしてくれた《レモンユーカリ》
mother tree.
thank you mom.




















さてと。
I ♡ Kantaroと何してあそぼっかなぁ〜。



















Don't forget...

LOVE & PEACE. 9.11




Tuesday, August 2, 2011

8

2011涼しい夏

うっかり窓を開けて、うっかり薄着ではだけて寝ていたら、疲労も重なり喉がやられた。Fuku-chanと二人おかま声だった。(Fuku-chan おかま声now)Ryo-chanが作って持って来てくれた”ぴりっと辛いジンジャー”に癒された。thanks.
作ってみたい。

先日、高校の同級生が結婚式を挙げた。
青年海外協力隊でブータンで出会った二人。幸福度の高いと言われるブータン。行ってみたい。
ブータンの衣装を身にまとっている人も多く、おもしろかった。
地元・新潟から来た友だちは、膝下までつかっている写真を待ち受けにしていてうけた。
自然災害は多いし、天気もおかしいし、農作物にも影響が出るね。昔なら【飢饉】で死ぬ人もたくさんだったけど、今はさほどでなければ食いっぱぐれることはなく、良い時代に・・・そして良い国に生まれたのだ・・・と思う。

先日、奄美大島から来た唄うたい《朝崎郁恵さん》の唄を聴いて来た。
時代を重ねたおばぁの声は身に染みた。
そして、波の音だけで唄った”ふるさと”は、心に染みた。


うさぎ

追いし かの山

小鮒こぶな釣りし かの川

夢は今もめぐりて

忘れがたき ふるさと
如何いかにいます 父母

つつが 無しや友垣ともがき

雨に風につけても

思い出ずる ふるさと
こころざしを 果たして

いつの日にか かえらん

山はあおきふるさと

水は清き ふるさと



海を見ながら過ごす時間。

友だちと過ごす時間。

親がいて、自分がいる。

今まで生きてきた時間。

これから生きていく時間。

死に向かっていく時間。

生と死が交差する日常。

大切なもの。

大切にしたいもの。

さてと。私の好きな季節。



















写真がupできたさぁー


Thursday, July 28, 2011

HARD day's

忙しかった。《くそ》がつくほど。
そして、なぜか写真がupできない。
なんでだろ・・・

眠るの大好きだけど、たとえ眠る時間が減っても”つくる”ことは楽しい。やっぱり好きだ・・・と再確認。
そしてユーコサンの【シーサー作り】に参加して、威嚇しているシーサー作ったさぁー。その写真が載せられないのだ!!なんでだぁー!!
手足とおしりの毛むくじゃらなシーサー。
見せたいさぁー。

☆Have a nice summer time☆

Wednesday, June 15, 2011

6.11

丸山家に家族が増えた。
おにぃのお嫁さんが家に来た。
「田舎が好きなの」
とお嫁さんは言う。
千葉から新潟へ。

電撃発表から早9ヶ月。
兄弟が結婚するというのは、なんだかこそばゆい。
そして、うれしい。

うれしい続きで、友だち夫婦の赤ちゃんが生まれた。
予定より一ヶ月早い生まれ。
新潟では結ばれた二人がいて、Australiaでは家族が増えた二人がいて・・・。
噛み締める様に、じっくりと幸せを感じれることはいいなぁとしみじみ思う。
生活の楽みをじっくりと感じることができるのはいいなぁ。
そして、大切な物事が繋がっていくといいなぁ。

おめでとう

おめでとう

ありがとう




☆LINK張りました☆

[ゆうこ♪の一日]  沖縄在住子育て中。幸せさぁ〜            

[篤家]       格好良いです。
          16日から岩手の物産展だそうです。
     

Tuesday, June 7, 2011

ヒルトップ酒造




















はいっ。顔を横にして見てね!!

梅の時期です。いい塩梅です。


Friday, May 27, 2011

6

梅雨に入り、洗濯物がからっと乾かなくて、太陽の待ち遠しい毎日。何だかあっと言う間に6月を迎えた感じ。
どたばたと忙しく、忙しいのは有り難いことだと。こないだ読んだ本の言葉に・・・

【失恋で悲しいのは恋を失ったからではなく、必要とされなくなったから】

というようなことが書いてあって、確かになぁ〜と。

5月末、ぶぃ〜んと車を走らせて御殿場へ魔神の《The world5》を観にひょっこりと。魔神は仕事で会えなかったけど、魔神の世界を生で観ることができてテンションが上がり、うひゃうひゃひゃな私。大きな壁に一面の世界。《現れては消え、消えては現れる。》その世界に魅了されているマルヤマ。今回は、今までの世界がつぎはぎでくっついての出現。
そして、御殿場のおばちゃんが「ここら辺はわりと霧がちなのよ。」と言っていたが、その日はいい天気でlucky day♪富士山を見ながらのドライブで御殿場に着き、夕暮れまで共にする。生活の中に富士山があるということ・・・。























Monday, May 23, 2011

大丈夫

長くなるけど、最近読んだ《灰谷健次郎の本 第17巻私の出会った子どもたち》より。



 かれにとって、やさしさの問題はたんに学校の問題にとどまらないのだ。障害を持つゆえに、かれにとってはやさしさの問題は、生き死にの問題なのである。
 林竹二先生はいう。
 ーーー教師は、自分がもっと苦悶し、全力あげて取り組んでいる問題を子どもにぶつけなくてはならないのではないか。
 そうだとするなら、ぼくの苦悶をもっとも正確に、丸ごと受け止めてくれたのは、かれだった。そして、人間のふれあいのいちばん高いところのものを、人間が人間となり得る天の道をさし示してくれた人が林竹二先生であった。
 あのエンジェル・ゴンタと命名された若者が、自らの意志でピアスをとった授業「もの識りであるということと賢いということ」の中で、林先生はつぎのようにいう。
 ーーーソクラテスのいう「賢さ」は、勿論いろんなことをたくさん知っているということでは勿論ない。むしろソクラテスはたった一つのことを知っている人間が賢いんだと考えていた。そのたった一つのことを、しかも本当に知っている人間が賢いんだと考えていたのです。そのたった一つのことというのは何かといいますと、ソクラテス自身の言葉を借りると「善」です。ここで注意しなければならないのは、それが今日道徳的な意味でいう善とか悪とかいう時の善とは、まるで違ったものだということです。だから、実はこの言葉は余り使わない方がいいのですが、彼の理想を理解するには、まったく触れないわけにもいかない。ソクラテスが善とよんでいたものは、人間が本当に求めているもの、それを得てはじめて満足できる・・・幸福になれるもの、それを善とよんだわけです。ですから、善だから人はそれを求めるわけではなくて、人間が腹の底から本当に求めているもの、それが善だとしたわけです。それは人間の幸福・・・心の底から満足に関係していて、世間のいわゆる善ではない。本当に人間が求めているもの、それが善で、それを本当に自分のものにした時だけ、人間は幸せになる。本当に幸せになれる、そのあるものを善と名付けたわけですが、それが何であるかということを人間は誰も知らないと説いたところにソクラテスの哲学があったわけです。ソクラテスが、すべての人間は無知だという場合の無知は、この善に関する無知を言っているのです。人間は本当に自分が求めているものが何であるかを知らないのです。
 このソクラテスのいう無知について大事な点は、世間の常識がかけているとか、字が読めないとか、あるいは新聞を読んでも、政治関係の記事などはちんぷんかんぷんでわからないというようなことで人を無知だとか無学だとかいうのではないということです。反対に学があるつもりで学ぼうとするきもちがないのが無学で、本当の知恵をもたないくせに知恵をもっているつもりでいる人(いわゆる知識人がその見本でしょう)を無知だと言っているのです。かれらは、自分が本当に求めているものが何であるか知らないからです。
 ここで少し哲学じみた話をしておかなければなりませんが、ソクラテスが厳密な意味で「知る」という言葉を使うときには、それは「ドクサ」に対していっているのです。「ドクサ」というのは、たとえば美について言えば、それが本当に美しいかどうかを吟味しないで、世間で美しいとしているからそれを美しいと考えているとか、あるいは何となく自分にそれが美しいように思われるからそれを美しいとしているのでは、美しいと「知った」ことにならない。それではまだ知識を欠き、ドクサに支配されているというのです。ソクラテスは、自分を無学だ、無知だと思っている人々は、知恵に近いと見、そしてほんとうは最も大事な知恵を欠いているくせにどうでもいい知識をたくさん仕入れてもっているもの識りにすぎないくせに、真の知識をそなえもっているように思い上がっている人を無知だときめつけているわけです。特に、ソクラテスが問題にする善についての無知には一種特別の性質がある。飛行機を操縦する知識をもたない人間は、その知識が自分にないことを知っていて、飛行機を操縦しようなどとは思いませんが、善の知識を欠いている場合は、自分の無知に気づかないで、にせものの知識すなわちドクサの命ずるままに行動するのです。真の知識が欠けていると否応なくドクサに支配されて行動することになるのです。本当に自分が求めているものが何であるか知らないから、自分が求めているのではない・・・だからそれを手に入れてもけっして幸せにはなれない・・・ものを、夢中になって追っかけるということになるのです。ですから、ソクラテスにとっては、賢いということは唯一つ、この善についての「知識」をもっていて、そしてその知識が示すとおりに行動して生きることができる人間であるということになります。

 この言葉はぼくにとって永遠に天の声となるだろう。なざなら、この言葉がぼくの半生のあやまちと、これから歩むべき「我が生」の道をさし示しているからである。



 と。
 大学の時は、全くちんぷんかんぷんだったソクラテス、哲学だったなぁ〜なんて思いながら読み進める。ふむふむふむ。
 何だかこのタイミングでずばぁーーーーーーーーーっときて、おぉーーーーーーーーーーーーーーっときて、長いけど載っけてみたんです。
 教育は深い。
 灰谷健次郎さんは大好きな人で、灰谷さんの本はいつも涙が流れる。心の奥底でりんりん共鳴しているような・・・今はまだ上手く言葉にすることができないけれど、いつか私が見たい景色が、近くに感じられるというか・・・。
 読みながら、今の自分が苦しくなり過ぎて、周りの全てのものにどうにもこうにもできなくて、わーーーーーーっと叫びながらバイクに乗っていた。
 東日本大震災をはじめ様々な天災や人災のことを、自分の身に起きなくとも、忘れてはいけない。自国だけではなく、世界のあちこちで起きているということを忘れてはいけない。そう強く思いながら、頭でっかちの私はまだまだ宙ぶらりん。

 でも・・・

 笑えてるから大丈夫。

 「大丈夫」は私にとって魔法の言葉。

 大丈夫、大丈夫。
 




♡Q.HEART sexy&cute

去年、夏のバイトで知り合ったmaai-chanが手がける
   《Q.HEART》 
その名の通りsexyでcute♡

バリ在住で、成田から直行で来たmaai-chanのトランクからヤモリが出てきたのが、まるで昨日のよう。
こんがり焼けた肌と、博多弁のかわいいmaai。
パワフルで前向きでcute。maai-chanの人柄がデザインとなって、beachを華やかにしていた。
びしばしと刺激を受けた2010。

そして2011。
今年は来日できないみたいだけど、Q.HEARTはお目にかかれる模様!!
きっと今年も、beachが華やかになるぞ♪
楽しみ♪楽しみ♪♪

チェケラ☆http://q-heart.com/

Wednesday, May 18, 2011

full moon

昨日の満月は曇っていたけど、ぼやんとしていてきれいだった。
布団にごろんとしたら、ちょうど窓枠におさまって、きれいな絵のようで、幸せな眠りにつくことができた。
最近は早寝早起きが習慣となり、気持ちの良いリズム。朝の4時半にはもうお陽様が顔を出し始めているので、すぱっと目覚めることができる。
お月様とお陽様があってこその自然の営み。

夏がもうすぐそこまで。

《またね》は良い言葉だなぁと、しみじみ感じる今日この頃。


Saturday, May 14, 2011

ちゃっら〜〜!!




















こんぺいでーーーす!!

昔は《笑点》良く見てたっけ。
笑点→ちびまるこ→サザエさん
のゴールデントリオ。

久しぶりに食べたこんぺいとうは甘かった。

あ、ソーダの味♪ラッキー

みたいな気分で、一粒ずつ一粒ずつ。
そういう感覚で物事進めていきたいな。

5.12 I♡Kantaroの2歳の誕生日

時の流れはあっという間で、しみじみと2歳を感じた。
おしゃべりがだいぶ上手になってきて、電話でもちゃーんと私の名前を呼んでくれる。
「さとこおばちゃん、あのね、あのね!!」
まだ一方的ではあるけど、話せなかった子が話せる様になるという感動。
できなかったことが、できるという感動。
一つ一つ全身で吸収していく子どもを見ていると、優しくてあたたかいものを・・・と思う。

生まれてきてくれてありがとう。


Thursday, May 5, 2011

5

GW

あちらこちらで休みを満喫する人たち。
あちらこちらでボランティアへ行って来たという人たち。

行動も言葉も伴わない私はちゅうぶらりん。

日に日に陽射しが強くなっていく。


昨日、逗子海岸で行われている【逗子映画祭】へ行って来た。海岸でLiveとMovie。海と空と音楽をほろ酔い気分で味わえるなんて、なんて最高なんだ。
変わらぬ海を眺める私と、変わった海を眺める人々。海は繋がっているということが不思議なくらい。

power to the people...

life is wonderful...

言葉が身に染みた。



5/8

友だちのあいちゃんまが出ます。
《ぬくぬくの輪》
石です。意思です。意志です。
http://nukunukunowa.blogspot.com/



5/14まで

魔神やってます。
《world5》



5/5.9.10.11

くぼっちです。
鶴の恩返しです。
決して部屋をのぞいてはいけません。

Thursday, April 28, 2011

congratulation.

幼なじみが結婚した。

ちっちゃな頃から知っているから、まるで家族が結婚するような・・・そんな気分で、しみじみと幸せを噛み締めた。

家族が増えていくということ。
いいことだなぁ。

おめでとう。

      







GARAGE

が、新たにOPEN!!
古いものと花のコラボレーションは、まるでFranceいるかのようで、心地よかった。
また、MAI chanの雰囲気を堪能できる場所ができたということは、とても幸せです。

場所は葉山です。ぜひ!!

おめでとう。






2011.4.23






Saturday, April 16, 2011

咲いた



















(咲いた写真を撮り忘れた・・・)


これはまだつぼみ

ちっこい花たちがいっせいに

咲いた

Sunday, April 10, 2011

躍動




















たくさん花が咲いていて両手が塞がった散歩道

あたたかく色とりどりの季節

空へ向かって芽吹く植物

ついつい視線が上を向く

一緒に空が目に入り太陽がまぶしい

足下にもたくさんの新芽

ちっこくてかわいい双葉

ついつい土に触りたくなる

あたたかい大地

力強い生命の躍動




Tuesday, April 5, 2011

4

日の出が早くなり、日の入りが遅くなった。
朝があたたかくて、早く起きるのが難しい。いっぱい眠れる。

《45億年変わることなく、正確に時間や季節を教えてくれるのは、太陽以外他にありません。》

ずっと見に行きたかった、山梨科学館のプラネタリウムでの解説の言葉が印象的だった。
甲府盆地はこの地震の後、停電や節電の影響で、以前より星がたくさん見えるそうだ。
数年前から、ライトダウンを呼びかけ【甲府盆地に天の川を!!】とactionしていたそうだが、まさかこのような形でらいとダウンになるとは想像もしていなかった、と。
被災地から、「地震当日の夜空の星の多さに『生きているんだぁ〜』と実感し、涙が流れてきた・・・」という言葉が届きました、と。

《世界共有の風景というが、夜空かもしれませんね。》



後、私が一番行きたかった理由の【星野道夫〜オーロラストーリー〜】
星野道夫さんの写真とともに、オーロラの神秘を映画にしての上映。
マッキンレー山のふもとの氷河上に、一ヶ月間におよぶ撮影キャンプをたった一人でしていた道夫さん。マッキンレーと、空と、雲と、氷河だけの生命を感じない環境で、何を見て、何を想い、何を考えていたのだろう・・・。
エスキモーでは、「地球は大きな鉄かごのようなもので覆われている。死者はわたりがらすの導きと、オーロラの光によって、天に昇る。」と言い伝えられているそうな。
「オーロラの現れる夜には、死者に会える。」とも。

不思議な化学反応で現れるオーロラ。研究がいくら進んでも、わからなくてもいいもの、わかれなくてもいいもの・・・そういう自然の不思議さや大きさが残っていてもいい。残っていた方がいい。

よくよく考えてみたら、道夫さんが亡くなったのが1996年8月8日。その年私は高校1年生。私が道夫さんの本に出会った時期。
亡くなったのを知ったのは、その5年後くらい。
出会いたい・・・出会いたい・・・と思いながら、本を幾度となく読み返していたことを思い出す。



出会いと別れを繰り返し、人はそれでも歩み続ける。

「今は悲しみを大切に・・・」

というフレーズがやけに印象的で、いつまでのも残っている。

草花は芽吹き、世界に彩りを与えてくれる季節。

静かに、そして強く歩み続けようと思った。


Thursday, March 31, 2011

snowflake

ぽっといけられていた花。

鈴蘭に似ている花。

花びらの緑てんてんのかわいい花。

心がざわざわしている時に落ち着く花。



背景の花は”snowflake”というそうな。
和名は「大待雪草」「鈴蘭水仙」
花言葉は「純粋」「純潔」「汚れなき心」「慈愛」




Tuesday, March 22, 2011

momo

私の好きな本
【モモ 作/ミヒャエル・エンデ】

地震から10日。あちこちで色んなmovementが起こっている中、私はこの本を読み返した。

以下本文より・・・

『彼は質問をじっくりと考えるのです。そしてこたえるまでもないと思うと、だまっています。でもこたえが必要なときには、どうこたえるべきか、時間をかけて考えます。そしてたいていは二時間も、ときにはまる一日考えてから、やおら返事をします。でもそのときにはもちろんあいては、じぶんがなにをきいたかわすれてしまっていますから、ベッポのことばに首をかしげて、おかしなやつだと思ってしまうのです。
 でもモモだけはいつまででもベッポの返事を待ちましたし、彼の言うことが理解できました。こんなに時間がかかるのはけっしてまちがったことを言うまいとしているからだと、知っていたからです。彼の考えでは、世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。』


『とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。この秘密とは・・・それは時間です。
 時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。』


『「時間どろぼうが人間から時間をこれ以上ぬすめないようにすることだって、わけもないことでしょう?」
 「いや、それはできないのだ。というのはな、人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。」
 モモは広間を見わたしてから、こうたずねました。
 「たくさん時計があるのは、そのためなのね?ぜんぶの人間にひとつずつあるんでしょう?」
 「そうじゃないんだよ、モモ。この時計はわたしが趣味であつめただけなのだ。時計と言いうのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど虹の七色が目に見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじなようにね。でにかなしいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じとれない心を持った人がいるのだ。」』


作者のあとがきより・・・

『「わたしはいまの話を、」とその人は言いました。「過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話してもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらもそう大きなちがいはありません。」』




1976年に描かれたモモ。《いま》に通ずるものがある。
時が経っても変わらないものもある。それは目には見えないものなのだと、モモから改めて教わった。



人それぞれの考え方や行動。

3・11をうけて、感じ、悩み、考え、心が動かされているこのこと自体が、とてつもなく大きな力で、その力がとても大切なんだと。その感じる心が《いま》、とても大切なんだと。そして、それぞれがそれぞれで良いんだと。

3・20 地球と月が最も近づいた、明け方のextra super moonと呼ばれた月。とてもきれいで、みとれた。そして、何億光年と変わらずにある月や太陽だけが、地球で起きていることを知っているようで、とても恥ずかしくなった。長い長い年月をかけて《いま》があって、そして《いま》もすぐに《過去》になり、すぐまた《未来》がやってくる。
この地球には様々な命が生きているが、どんな《未来》を描くかは人間次第な気がしてならない。


Tuesday, March 15, 2011

言葉と気持ちがぐるぐるで

どんどんと涌いて出てくる泉のように

書き留めないと自分で自分が押さえきれないくらいで

言葉の使い方は慎重にならなければいけなくて

良いも悪いも影響が大きすぎるから

それでも私はよく人を攻撃してしまうから

あとから自己嫌悪

揺れた瞬間

〈あ!!もう会えないかもしれない!!〉

そんな気持ちが涌いたのならば

優しくなろう

人にも動物にも地球にも

長い歴史の間・・・そして今回でも・・・

死んでしまった人たちの分も

まるで地震なんてなかったかのように

ほぉ〜ほけきょ

なんて上手に鳴いているから

気が抜けて

そしてまた3月11日を思い出す