Thursday, March 31, 2011

snowflake

ぽっといけられていた花。

鈴蘭に似ている花。

花びらの緑てんてんのかわいい花。

心がざわざわしている時に落ち着く花。



背景の花は”snowflake”というそうな。
和名は「大待雪草」「鈴蘭水仙」
花言葉は「純粋」「純潔」「汚れなき心」「慈愛」




Tuesday, March 22, 2011

momo

私の好きな本
【モモ 作/ミヒャエル・エンデ】

地震から10日。あちこちで色んなmovementが起こっている中、私はこの本を読み返した。

以下本文より・・・

『彼は質問をじっくりと考えるのです。そしてこたえるまでもないと思うと、だまっています。でもこたえが必要なときには、どうこたえるべきか、時間をかけて考えます。そしてたいていは二時間も、ときにはまる一日考えてから、やおら返事をします。でもそのときにはもちろんあいては、じぶんがなにをきいたかわすれてしまっていますから、ベッポのことばに首をかしげて、おかしなやつだと思ってしまうのです。
 でもモモだけはいつまででもベッポの返事を待ちましたし、彼の言うことが理解できました。こんなに時間がかかるのはけっしてまちがったことを言うまいとしているからだと、知っていたからです。彼の考えでは、世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。』


『とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。この秘密とは・・・それは時間です。
 時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。』


『「時間どろぼうが人間から時間をこれ以上ぬすめないようにすることだって、わけもないことでしょう?」
 「いや、それはできないのだ。というのはな、人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。」
 モモは広間を見わたしてから、こうたずねました。
 「たくさん時計があるのは、そのためなのね?ぜんぶの人間にひとつずつあるんでしょう?」
 「そうじゃないんだよ、モモ。この時計はわたしが趣味であつめただけなのだ。時計と言いうのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど虹の七色が目に見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじなようにね。でにかなしいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じとれない心を持った人がいるのだ。」』


作者のあとがきより・・・

『「わたしはいまの話を、」とその人は言いました。「過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話してもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらもそう大きなちがいはありません。」』




1976年に描かれたモモ。《いま》に通ずるものがある。
時が経っても変わらないものもある。それは目には見えないものなのだと、モモから改めて教わった。



人それぞれの考え方や行動。

3・11をうけて、感じ、悩み、考え、心が動かされているこのこと自体が、とてつもなく大きな力で、その力がとても大切なんだと。その感じる心が《いま》、とても大切なんだと。そして、それぞれがそれぞれで良いんだと。

3・20 地球と月が最も近づいた、明け方のextra super moonと呼ばれた月。とてもきれいで、みとれた。そして、何億光年と変わらずにある月や太陽だけが、地球で起きていることを知っているようで、とても恥ずかしくなった。長い長い年月をかけて《いま》があって、そして《いま》もすぐに《過去》になり、すぐまた《未来》がやってくる。
この地球には様々な命が生きているが、どんな《未来》を描くかは人間次第な気がしてならない。


Tuesday, March 15, 2011

言葉と気持ちがぐるぐるで

どんどんと涌いて出てくる泉のように

書き留めないと自分で自分が押さえきれないくらいで

言葉の使い方は慎重にならなければいけなくて

良いも悪いも影響が大きすぎるから

それでも私はよく人を攻撃してしまうから

あとから自己嫌悪

揺れた瞬間

〈あ!!もう会えないかもしれない!!〉

そんな気持ちが涌いたのならば

優しくなろう

人にも動物にも地球にも

長い歴史の間・・・そして今回でも・・・

死んでしまった人たちの分も

まるで地震なんてなかったかのように

ほぉ〜ほけきょ

なんて上手に鳴いているから

気が抜けて

そしてまた3月11日を思い出す

Sunday, March 13, 2011

魔神は世界を救う!!

丁度去年の今頃か??もうちょっと前か????

鎌倉で初めて、作品展というか魔神を創り出しているのを見て、えらく感動した。
すごいものを創り出しているもんだと。
すごいパワーを感じ、ちょろっとお会いしただけなのに、おおおおおおおおおおおとテンションが上がったのです。

そう!!魔神は世界を救う!



以下、魔人さんの日記より・・・
(びびびときたので、紹介させてもらっちゃいました。)

被災地の映像を見る度に、何かできることないのだろうか?と思って。
節電とか募金とかそういうのはもちろんだけど、物を作ってる者として何かを。
アートに力があるならば、何かできるはず。
アーティストは作品が作れる。
作れるなら、違った方法での支援もできる。
社会との関わりの中で、生きていて、その社会に参加していく事は意味がある。

ACTで開催されるチャリティー展覧会に参加します。売上は全て義援金に。

何かできること一つ。




そしてblogちぇけら↓↓↓ link張らせてもらいまーす。

http://yaplog.jp/nwanks3/

こんな時だからこそ・・・

世間は卒業式&入学式シーズンである。

地震でひっちゃかめっちゃかになってしまたところはそれどころではない。未来ある子どもたちの門出をお祝いできない悲しさ・・・。でもまずは、心や体や生活の復旧が第一優先。だから頑張って。

でも被災していない場所は、《情報》が行き交うが《日常》が進む


私は以前、学童で努めていた。
そこで出会った子どもたちが、もうすぐ小学校を卒業する。
被災していない。戦争もしていない。ご飯を食べて、寝て、遊んで、習い事もして、学校へ行く。良いとか悪いではなく、そういう環境なのだ。そういう環境に矛盾を感じたり、物足りなさを感じながら退職し2年。
まだまだ模索中ではあるが、いつも、どんな時も想うのが、教育の大切さ。現場で働いていない私が偉そうに言うのもなんだが、大人である自分の生き様が子どもたちへ響くように・・・と、自分の生き方には常に胸を張りたいと思い生活している今日この頃。
どんな環境でも、子どもたちの敏感さや鋭さが心にたくさん影響を与えている。それを受け止める大人の心意気が、温かく、人情味があることを願う。


学童の卒業する子どもたち向けに送ったメッセージを紹介させて頂きます。




☆ 新たな一歩を踏み出す若者たちへ ☆


《子ども》ではない年齢に達していることを自覚しよう。 
   
そこまで達した背景には、家族や友だち、多くの人々の支えがあることを自覚しよう。

そして何よりも、自分の力を自覚しよう。
 
    
私たちの生きる《地球》では、様々な出来事が起きている。 

そして、私たちはそれを知ることのできる環境で生活している。

その出来事が、私たちに全く関係のないことではないことを感じ、考えよう。

自分に何ができるのか・・・

自分を振り返り、環境を振り返り、そして行動する。

失敗してもいい。

でも、自分で責任がとれないのであるならば、行動していはいけない。

くじけたのならば、相談すればいい。

話に耳を傾けてくれる人はいる。だから一人で悩まないこと。

失敗と成功を繰り返すことが大切。

そして、歩みを止めないことが大切。

だから、自信をもって、胸を張って、一歩を踏み出して欲しい。

感謝の気持ちを持って、自然に優しく、地球に優しく。

生きるために必要なことは、とてもシンプルでまっすぐだから、余計な自分と余計な世間の目を削ぎ落とし進め!! 
    


私もまだまだ未熟者。元気をもらうのは、あなたたちの想像力や発想力や行動力。

そして、あなたたちの存在。命。

出会えて良かった。ありがとう。
        
LOVE & PEACE

Saturday, March 12, 2011

pray for earth.

地球が怒った



ここ葉山、そして私も家族も友だちも無事です

気がかりではあるけれど、今は、被災者の方々、安心の日常を失った方々の頑張りを応援するばかり・・・

そして、地球の怒りが止むのを祈るばかり・・・



こういう時こそ《生きる力》が問われると思う

投げ出さず、諦めず・・・



被災者は情報が入らない

これは中越地震の経験

だからこそ余計に《生きる》ことに必死になる

食べる・寝る・・・

それはそれでいいのだと思う

自分の身は自分で守る

これはとても大切なこと

おじぃもおばぁも頑張れ!!

力のある若者頑張れ!!

子どもたち無邪気さを忘れずに!!



被災していない人たちは情報がたくさん入るからこそ、より一層冷静な判断が問われる

情報にいちいち左右されず、正確な情報を読み取る

そして、節電や節水、情報収集などできることをする

それは、地球を考える事に繋がる

これが、こういう時だけではなく、日常になるといい

福島原発のことをきっかけに、原発のことを考えてみよう

そして、今は放射能を自分で防ぐための対策をとろう



どうか国のトップは、こういう時こそ包み隠さずに情報をシェアし、勇気ある決断を・・・

民主主義なんだろ!!

みんな真実を知りたいんだ!!



変わるきっかけ逃さずいこうぜぇい!!

Bonvoyage & ripple 見ろよ!!!!


Love & Hug for Earth & All

Thursday, March 10, 2011

小春日和

世界のあちこちでは色んなことが起こっているけど、ここは海がきれいで富士山がきれいで。
ぽかぽかと庭でお茶タイム。
あぁ〜なんて幸せなんでしょう。
ありがとう。

そう、全てはつながっている・・・

linkを張らせて頂きました。
《ripple》素敵です。どぉぞ。

Wednesday, March 9, 2011

3.8



















庭に種を撒く。
大葉・ミント・ローズマリー&Brooming heather.
芽が出ます様に・・・。



3.9

今日は風が強い。
海沿いの道も気持ちが良いけど、風に混じる砂が痛い。
半ヘルはぴちぴちと顔にあたって痛い。
素敵なご縁で出会えた新たな一歩。
少しずつ少しずつ進んでみようと思う。


Tuesday, March 8, 2011

3

あれやこれや、気持ちがフル回転しているうちに3月8日。

きっと、野口健さんの講演会と、その後に読んだ健さんの本の影響が強いんだ。五感が刺激されて、びしびしと自分のものに吸収しようとしている感じ。いい意味での緊迫感を持てている。そんな感じ。


ー自然と国家と人間と 著・野口健よりー

激しい海岸浸食を受けている、ベンガル湾に浮かぶハティア島を訪れた健さん。

『しかしこうして「現場」を訪れてみれば、多くの人々と出会い、報告書では表されることのない世界を目にする。現場でなければ決して感じることのできない空気にさらされて改めて感じることは、「一日一ドル以下」で生活している人々が、先進国の発展のツケを支払わなければならない不条理だ。そして被害に遭っている彼らの多くは地球温暖化の原因を知らない。ヒマラヤの民同様に「神様へのお祈りが足りない。私たちの感謝の気持ちが少なくなっている。」などと自分たちを責めているのだ。』

あぁ〜なんと私たちは幸せで贅沢なことか・・・。
生活の中で欠くことのない「お金」。その「お金」の《使い方》を考える事。今の私には、それが大切だと感じた。

私は浪費家であると思う。ちっとも貯まりやしない。貯める気もあまりないからだけど、今の収入はバイト2つで以前の2分の1くらい。家賃、光熱費を出すと手元には・・・あぁあああぁぁぁぁ・・・。
でも、くいっぱぐれることも、野宿しなければならないこともない。何かしら食べることができて、雨風しのいで暖かい布団で眠ることができる。車とバイクもある。

《先進国の発展》に、少なからず加担している生活を送っていることに気がついてはいたが、「現場」の人たちの気持ちや想いは知らなかった。

「私たちの感謝の気持ちが少なくなっている。」


《厳しい生活を送っている人たちの目はきらきらしている。日本人の目は死んでいる。》とよく聞くけど、「生きる」違いは何なのか。
地球規模で考えて、自分の生活を捉えることができたのならば・・・。そしてお金の使い方を考えることができたのならば・・・。《いいお金の使い方》を考えて、実行することで、世の中の金回りが変わっていくはず。

フェアトレードのものを選ぶ。
地元の野菜や魚を選ぶ。
節電。節水。
衣料品は必要なものだけ買う。
素材を選ぶ。
いらなくなったら手放す。なるたけ最後の最後まで使い切るか、使えそうならリサイクル。
自然を身近に感じることをする。そして感謝する。

とかね。なんか色んなことが考えられるけど、自分で楽しくできなきゃ意味ないから、できそうなところから。
大人の目が死んでいたら、子どもの目は輝けない。
自分の楽しいが、みんなの楽しいになって、それがなおかつ地球に優しかったらいいなぁと。でも、自然界には優しいだけじゃない厳しさもあるから、そういうことも知りながら・・・。
それはまた、別の機会に。